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工場長日誌

(無題)

「鈴鹿レーシングチーム」に入部して、新人の初「仕事」は先輩方々のレースで転倒破損したカウル修理でした。
シーズン中はレースの合間に修理しなければいけなかったため、しばしば徹夜作業もありました。国際A級と言えども限界を超えた走りやオイルなどで「転倒」してしまいます。
スペアカウルもありましたが、2つとも破損することもありました。FRPなので、修復そのものはプラスチックより「簡単」ですが、補修後にチームカラーに塗装しなくてはならなかった為、塗装の方が大変です。
全日本選手権の後に部室へ行くと破損したカウルと「カウル修理しといて」とのメモが必ずありました。新人たちは手分けしてカウル修理をしていました。

入部して1年間はバイクには乗れません。規則があるわけではないのですが、まずはメカニック(というか手伝い)から始めます。
全日本のレースは、筑波、菅生、美祢と各地で開催されていたので各レースごとにメカニックを割り振りします。割り当てが決まれば、自分の職場に有給休暇の申請をします。
「鈴鹿レーシングチーム」は社内での位置づけとしては野球部や陸上部と同じ会社公認の社会人クラブなので、レース=試合ですから、堂々と「休み」の申請ができます。

私自身は菅生、筑波にメカニックとして行きました。鈴鹿は地元なので、チーム員全員参加です。
レース前は毎晩ミーティングがありました。鈴鹿のレース(全日本、鈴鹿サンデー)では必ずミーティングがあって、レース出場者はその日の結果報告をしていました。

「92年鈴鹿サンデーオートバイレース最終戦のSP400クラススタート直前です:14番」

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